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今日の本54(十字架)

2020年10月29日

おはようございます。今日は通勤時間帯、少し暖かい気がしました。手首、足首、首元、その三点を暖かい恰好をしていると、そこまで寒く感じないそうですよ。
今日の本は、重松清さん、十字架、です。学校でいじめを見かけたことはありますか?その時あなたはどう対応しましたか?いじめの根本はどこにあるのか。それを問う一冊です。
♯重松清 ♯十字架

【ナイフと十字架どっちがいい?】
中学で起こったいじめの先の自殺。遺書にはただのクラスメイトでそれ以上でもなかった自分の名前が、親友の名として残されていた。いじめを知っていて、ただ見ていただけの自分なのに、親友と呼ばれる資格があるのか?あの子はどんな想いで自分のことを親友だと手紙に綴ったのだろうか?
ナイフと十字架どっちがいい?
ナイフは刺された瞬間ものすごく痛い。でも傷はいつか癒える。
十字架は‥‥痛くないかもしれないけれど、ずっと一生背中にのしかかってくる。取り払うことはできない。
人間って死にたくなるほどつらい目にあって、それを誰にも助けてもらえないときに絶望するのだろうか?
今はネットやSNSもあり、社会的に抹消とか集団で匿名でできてしまう時代。そういう心配があるのなら、スマホやネットに触れるのは最小限にすればいいし、無理をして友達を作る必要もないと思う。学校は学び舎であって、友達を絶対作らなければならない場所ではない。本当の友人は些細なことで壊れる関係じゃないし、ちゃんとできるときにはできる。誤解されがちだが、本当の友人というものは自分をきちんと叱ってくれる人だ。群れいていないと不安なのだろうか。学校がすべてではないのに。もし家に居場所があるのならば、更に他にも安定の場所を求めるのは、結構な贅沢だと思う。
いじめを見ていただけ…知ってたけど知らないふり見ないふりした…それは本当に罪だろうか?
勇気をもって、いじめを撃退することが、クラスメイトの務めなのだろうか?
皆自分のことで精いっぱい、興味のない人間に対して、そこまで本当にできるだろうか?やる義務があるのだろうか?
何もしなかった、だからいって、一生、十字架を背負う必要があるのだろうか?
そんなにも、責められる必要があるのだろうか?
海外ではいじめている側に問題があるとして、いじめている側をカウンセリングして治療するようです。日本のようにいじめられた側をカウンセリングするのはケアとしてよい事ですが、いじめる側を放置したままにしておくのは、将来その子にとって良い事でしょうか?いじめられた側にも問題がある、という最初の定義からして、日本と海外の差があるのかもしれません。

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