今日の本145(王とサーカス)

おはようございます。アフガニスタンのタリバン政権の勝利宣言により女性の人権の問題が発生しています。ニュースでも映像が流れていますが、その映像があるということはそこに記者がいるという事であり、その記者は報道を世界に発信するという重要な仕事をしていますが、見方によっては、疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。そこにいながら、あなたは何もできなかったのか、何もしなかったのかと。その映像を流すことで、その国をサーカスに、見世物にしてはいないかと。今日ご紹介する、王とサーカス、では、記者として生きるにあたって、何が正解で何が不正解なのか、葛藤しながらも報道という名のもとに、自分なりの回答を見つけていく女性記者のお話です。
今日の本は、米澤穂信さん、王とサーカス、です。
#kokkoさんの今日の本 #米澤穂信 #王とサーカス

ネパールに旅行者向けの雑誌記事を書くのに訪れた女性記者。
フリーになってから初めての仕事だった。旅行雑誌向けの写真を撮ろうと街並みを歩き回っていた日々だったが、ある日王族の一人が他の王族を全員殺してしまうという事件が起こった。記者としてこの国にいる。何が起こったか、記事にしなければならなかった。

【誰かのためじゃない。わたしが知りたいからだ】
世界の中で何が起きているのか。
人々は何を喜び、何を悲しんでいるのか。
その価値判断の基準はわたしとは違っているのか。
・・・それとも同じなのか。
わたしが、知りたい。
知らずにはいられない。
だからわたしはここにいる。
「誇り高い言葉を口にしながら、手はいくらでもそれを裏切れる。ずっと手を汚してきた男が、譲れない一点で驚くほど清廉になる」
知っていた。わたしが生きているこの世界はどういう場所なのか、知っていると思っていた。
けれどはやり、知らなかったのだ。
ここがどういう場所なのか、わたしがいるのはどういう場所なのか、明らかにしたい。

カトマンズは祈りの街だ—-
「もう二度とこの国をサーカスにはしない」
わたしが取材で会い、そういった男が殺された。
「INFORMER」
わたしは写真に撮ったのだ。
「密告者」
背中にそう、刻まれた男の写真を。
その出来事が、国の騒動にかかわるのか関わらないのか。

一枚の写真を世界に発信すること。
【ハゲワシと少女】

報道写真に与えられる最高の名誉、ピューリッツァー賞を得た写真を知っているだろうか。
四肢はやせ衰え、栄養失調で腹ばかりが膨らんだ少女が、乾いた大地にしゃがみこんでいる。その数メートル後ろでは、地面に降りた一匹のハゲワシが少女のほうを向いている。ハゲワシはなぜそこにいて、しゃがみ込む少女を見ているのか。・・・間もなく命尽きる少女を餌食にするため。飢餓ゆえに人間が死に、鳥がそれを食おうとしている。この写真は、その内包されるメッセージの強さゆえに、ピューリッツァー賞を得た。しかし、写真家は大きな称賛を受けるだけでなく、大きな避難にも晒された。
「なぜ」
と批判者が言った。
「なぜ、少女を助けなかったのか?
 その場にいながらあなたはただそれを取るだけで、
 死のうとしてる少女のためには何もしなかったのか?」
写真家は反論した。
「そうではない。見殺しにしたわけではない。
 私は、少女が自力で立ち上がって配給所へと歩き出すのを確かめてから、その場を立ち去ったのだ。」
しかし、少女の無事を見届けるカメラマンを撮った写真はない。。。。

この世の悲惨を伝えられるということは、その場に立ち会っていたということ。
なぜ助けなかったのだ。
お前は何をしていたのだ。

疑問と批判の中、ピューリッツァー賞受賞者は、自ら命を絶った。。。

自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。意表をつくようなものであれば、なお申し分ない。恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりしたものはこういうだろう。
考えされた。。。
そういう娯楽なのだ。

もしわたしに記者として誇れることがあるとすれば、それは何かを報じたことではなく、この写真を報じなかったこと。
記事を書くことによって、誰かの悲しみをサーカスにしてはいけないのだ。

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